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9月 2005
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October 2006
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2002年9月29日−10月14日 灰色のはざま、緑 新作墨絵による個展 東京・谷中 時夢草庵
私の大好きなキリスト教のシンボルは、まったくキリスト教的ではない。一年でもっ
実は心の底ではアニミズムを信奉している。 ビルの合間の木立、セメントの間から生えた草々、荒涼とした都市の真ん中にも、そ
animism
名詞:すべての自然物と宇宙には、それ自体の霊魂があるとする教義。
日付:1832年
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Walking the dog in a Gourd, ink on washi 2001 . . |
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| Blue Fuji, October 2000 JimuSoAn, Yanaka,
Tokyo.
Blue 富士 ここでいうBlueとは色の事ではありません。感じる気持ちです。 最近谷中の富士見坂で起こったこと。東京にはたくさんの富士見…があります。この谷中の富士見坂からは富士山の姿を見ることができました。 今年本郷通りに高層ビルができるまでは。今見える富士山の姿は半分になってしまいました。 路地、木造家屋、子供たちが外で遊ぶ声、木々、それに群がる雀たち、そしてついに空を、私たちから奪おうとする。小さいものが失われ、醜い四角いセメントが建つごとに、私たちはそれらに囲まれていく。 展示した絵の多くは私のエッセイ「下町の外人さん」からのものです。 この場所に暮らし、日本の文化とじっくり出会うことが出来た事は、私にとって大きな喜びです。作品はここで暮らす約10年の間に描いたものです。 ジム・ハサウェイ 2000年10月 |
| see painting | Seki-jin (stone people) October 1999, JiMuSoAn,
Yanaka, Tokyo.
石人1999年10月東京谷中時夢草庵 谷中の石人たち 小さな石の男が道を守っています。小さな石製の赤ん坊が、道を通りすぎる私たちの幸運を祈ってくれています。近所のある寺は八万体もの石の地蔵があるということです。しかし壮観な感じさえする寺のなかの地蔵たちよりも、いまでもまだ道端にたたずむ小さな独立した男が、なぜか私の興味をひきます。 私は現代社会に生きていて、こんにちの世界でもっともハイテクノロジーパワーの進んでいる国のひとつである日本に住んでいます。そのなかでもまた、その中心である首都・東京に住んでいるのです。それでも、私は昔からずっとそこにいて、人びとに幸運を祈っていたであろう彼、道を守る小さな石の男を見つけます。 彼らはこの現代社会の一員です。近所の人たちはいまも地蔵の世話をします。暑い日には地蔵に水を供えます。ときにはお花をかえてあげます。帽子や前掛けを彼らにつくります。布の前掛けのうえに毛糸で編んだものなど、いろいろと重ねて着せている姿をよく見かけます。 いまもまだ道を石の男が守っていてくれています。そのまわりは、住むのに良いところです。 全作品は和紙に墨で画いたものです。 |
| 隅田川にかかる18の橋
1998年9-10月 東京・浅草・ギャラリーエフ 川の両側を結ぶ橋。これは絵の主題として大変魅力的です。しかも、その川はかつて江戸を代表した大川なのです。芭蕉や広重や北斎や歌麻呂はこの川に親しんでいました。そこは浮世絵の中心地なのです。昔は上流でも下流でも、どこからでもきれいな水が飲めました。今の東京は、この川まで来て引き返しているように思えます。この川は、都会の古い、フッショナブルではないエリアになっています。川に沿って、ホームレスの人々が建てたブルーシートのテントが並んでいます。川沿いには醜いセメントの首都高が走っています。しかし、それでも川は生きているのです。そして私たちの一部になっているのです |
| 東京には空がない
1998年9月 東京・青山・ドイツ東アジア協会(The German East Asian Socioty)・アトリウムギャラリー 私は夜間、英語を教えています。生徒たちはいろいろなことを教えてくれます。ある少人数の英会話クラスで、いつものように授業をしていました。生徒に家族のことを尋ねたときのことです。私は「祖父は農夫でした」と言いました。最初の生徒が「私の祖父も農夫でした」と答えました。二番目の生徒は「私の祖父は有名な芸術家でした」と答えました。私は、その生徒が勘違いしていると思いました。生徒たちはそんなことは言っていなかったからです。 ガイジンを知るのに時間はかかりません。ニューヨークから来た人に会ったとしたら、最初の5分でその人の美点がすべてわかるでしょう。でも日本人は、知り合って15年してもわからないのです。 私はその二番目の生徒に尋ねました。「あなたのおじいさんは何をした人ですか」。彼女は「祖父は有名なアーティストでもありました」と言いました。やはり彼女は間違ってる、と思いました。私は教師として彼女の間違いを見つけたのです。彼女は新しく入った人でした。たぶん、このクラスは彼女にはレベルが高すぎたのでしょう。私はクラスの名簿を見ました。彼女は高村という名前でした。なんということ!「あなたのおじいさんの下の名前はなんといいいますか」。彼女は「光太郎です」と言いました。「ええ?」。 高村光太郎はかつて私の家のすぐそばに住んでいました。彼は近代日本のすぐれた、そしてもっとも有名な彫刻家です。また、その詩も有名です。彼のもっとも有名な詩は発狂し、介護の甲斐もなく亡くなった美しい妻をうたったものです。1930年代に書かれた有名な詩集「智恵子抄」に「智恵子は、東京に空がないといふ」という妻の言葉の引用があります。 光太郎の孫娘に会った晩、私はよく眠れませんでした。夢に光太郎と智恵子が私の家の前を歩いているところがでてきました。夢の中の智恵子は笑っていました。光太郎が言いました。「本当だ。東京には空がない」 翌日、私は一連の絵を描き始めました。それが今回の個展にまで発展したのです。 |
| see painting | 雪と墨
1997年3月 アトリアムギャラリー 皇居はかつての江戸城であり、この国の中心です。そして、東京の中心でもあります。
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| see painting | 29 Stops of the Yamanote,
Sumida Riverside Gallery, Asakusa, Tokyo, Feb and March 1996
世界で一番忙しい電車の行き先はどこでもない。 山手線は世界でも最も多くの乗車客を乗せる電車だろう。しかしこの電車に一日中乗っていてもどこにも行かない、ただ回っているだけだ。たとえ1時間乗って降りても乗った場所と同じ場所に降りるだろう。 回る、と言うことは偉大で古来からの禅のシンボルである。 輪廻―全てが無が同じ時に、それは永遠のものである。 しかし私は永遠を描きたいわけではない。−私は東京を描きたかった。新鮮な外人でさえ東京は都市は一つのまちでないことにすぐ気がつく、それはたくさんの町々が一緒にくっついたものだ。山手線はその一つのごった煮したものを支えている。江戸時代人々は川や水路に生きていた。いまや人々はここでは生活していない。人々は電車と生きている。いったい何百万の人が一日に山手線を利用するのか?わからない、しかしほとんどの人は実際この電車をよく見ていないと思う。山手線は長年連れ添った伴侶に似ている。そこにいるのはわかっている、でもじっくりとは見ていない。 |
| see painting | 人々・場所・墨
1994年10月 東京・谷中・スペースおぐらや 日本で二回目の墨絵の展示会です。私が発見した新しい素材−墨、和紙−を使って近所の人達を描いたものです。私はコロンブスがアメリカを発見したように、墨と和紙を発見しました。つまり、ずっと前からあったもので、私が第一発見者というわけではありません。しかし、私にとっては初めてのものでした。新鮮で、無限の可能性に息づいていたのです。 |
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